大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成5年(行ツ)110号 判決

上告人

グループ市民の眼

右代表者事務局長

折田泰宏

右訴訟代理人弁護士

中村広明

飯田昭

高見澤昭治

出口治男

豊田幸宏

野々山宏

北條雅英

三重利典

山﨑浩一

安保嘉博

被上告人

京都府知事荒巻禎一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人及び上告代理人中村広明の上告理由第一及び同第二の一ないし四について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、本件文書が京都府情報公開条例(昭和六三年京都府条例第一七号)五条六号所定の情報が記録されている公文書に当たるとして、被上告人がした本件文書を公開しない旨の決定が適法であるとした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右違法のあることを前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。府又は国等の意思形成の過程における情報であって、公開することにより、当該又は同種の意思形成を公正かつ適切に行うことに著しい支障が生じるおそれのあるものが記録されている公文書の公開をしないことができる旨を定めた右条例の規定が憲法二一条一項その他所論の憲法の各規定に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日判決・民集三七巻五号七九三頁、最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、最高裁昭和六三年(オ)第四三六号平成元年三月八日判決・民集四三巻二号八九頁)の趣旨に徴して明らかである。論旨はいずれも採用することができない。

同第二の五について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大西勝也 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官根岸重治)

上告人及び上告代理人中村広明の上告理由

第一 憲法違反について

一 原判決は、「地方公共団体に対し情報の公開を請求する住民の権利は、憲法二一条一項に密接に関連するものではあるが、憲法上の権利とはいえず、条例によって創設された権利である。」とし、「公開条例の各規定につき憲法二一条一項等に直接かかわる違憲無効の問題が生じる余地がない。」と論ずる。

原判決のこの見解は明らかに憲法に違背するものであり、公開条例自体の解釈及びこれに基づく行政処分の適否については、情報公開請求権が憲法上の権利であることを配慮して、なされるべきものである。

二 情報公開問題の背景

行政組織が複雑、肥大化する中で、行政の情報公開制度が取り沙汰され、国においては情報公開法の制定が検討され、各地の地方公共団体において情報公開条例が制定されている。

この背景として、総務庁が開催した「情報公開問題研究会」(座長成田頼明横浜国立大教授)は次のようにまとめている(情報公開問題研究会中間報告)。

① 国民が、自己の権利・利益の保護を図るため、処分等の基礎となった文書・資料の公開を求めるようになったこと。

② 社会全体の情報化の進展や行政機関の拡大により、行政機関に大量の情報が集積していることから、これらの情報を有効に活用するべきだとして、その公開を求めるようになったこと。

③ 昭和四〇年代になって、公害、環境問題、消費者問題等が顕在化し、日本各地で公害等の被害者団体や消費者団体が中心となって住民運動が活発化し、関係官庁や地方公共団体、企業等に対して情報の公開を求めるようになったこと。また、行政機関には安全確保や環境保護に対する責任があると考えて、行政機関に対して紛争に係る企業に関して保有している情報の公開を求めるとともに、行政機関自身の各種計画や基準策定の基礎データあるいは決定に至る審議過程に関する資料等の公開も要求するようになったこと。

④ 昭和五〇年代に入り、ロッキードあるいはダグラス・グラマンの航空機疑惑事件等を契機として、政治・行政の透明性の確保や行政の監視という観点から、行政情報の公開を求めるようになったこと。

三 このように、情報公開の必要性は現代の政治、経済の状況から議論されているようであるが、国や地方公共団体に対して国民が情報公開を請求する権利は、以下の述べるように日本国憲法が前提とする民主主義制度の前提となる権利であり、また憲法の規定する種々の基本的人権に含まれる権利であり、前述の事情を背景として十分成熟した権利であると言うことができる。

情報公開請求権は、その根拠について議論があるとしても、多くの憲法学説で定着した概念であるばかりでなく、各地の情報公開条例にかかわる多くの裁判例においても、認められてきている。

例えば、大阪府知事交際費開示請求事件の大阪地裁平成元年三月一四日判決では、大阪府公文書公開等条例は「基本的には憲法二一条等に基づく『知る権利』の尊重めに制定されたものと認められる。」とし、福岡県教育行政情報開示請求事件の福岡地裁平成二年三月一四日判決では、福岡県情報公開条例は「基本的には、憲法二一条等に基づく『知る権利』の尊重と同法一五条の参政権の実質的確保の理念に則り、それを県政において実現するために制定されたものであって、県の有する情報については公開を原則とするものと解される。」とし、埼玉県健康情報開示請求事件の浦和地裁平成二年三月二六日判決では「日本国憲法上の抽象的な権利としての『知る権利』を具体的な権利として、実定法上保障するため制定されたものであって、本件条例の解釈、運用に当たっても、右の理念を十分に配慮すべきは当然である。」とし、また本件の第一審判決は「憲法二一条の規定は……」としているのである。

四 そこで、情報公開請求権の法的根拠として、以下の根拠が考えられるが、この全てがその根拠となり得るものである。

1 表現の自由に内包する権利(憲法二一条)

表現の自由は、情報を受ける権利、すなわち「知る権利」を内包する基本的人権である。そして、この権利は、単に情報受領する自由だけではなく、積極的に求める権利を含む。

すなわち、表現するためには、人の考えを受け取らなければならず、そのためには、自由な情報の流通がなければ、意見も形成されえない。表現の自由の前提として情報を受け取る自由が確保されなければならない。しかし、情報が行政や企業に独占されている社会状況の中で、本来自由権としての知る権利を保障するために、給付請求権としての知る権利が認められなければならない。

一九四八年の世界人権宣言一九条は、「すべての人は、意見及び表現の自由を享受する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」としている。

また、同宣言を受けて成立し、一九七九年六月二一日、日本国政府が批准した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下国際人権規約B規約という)一九条二項は、「すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む」としている。これらによっても、「知る権利」が表現の自由に含まれる基本的人権であることが明らかである。

表現の自由を論拠とした学説は多いが、その一つを紹介すると、佐藤功教授は「『知る権利』は、いわゆる情報化社会の発達などの状況が生み出した『新しい人権』である。最高裁も『報道機関の報道は民主主義社会において国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものである』(最高裁昭和四四・一一・二六決定)として、『知る権利』を承認している。『知る権利』の憲法上の根拠は、直接に、表現の自由を保障する第二一条に求めることができる。報道など表現の自由の保障は、その受け手の側からは『知る権利』の保障にほかならないからである。」としている(「日本国憲法概説」全訂第四版)。

学説の中には、この権利は報道機関の権利であり、国民の権利ではないという議論がある。しかし、右に引用された最高裁決定に述べているように報道機関は国民の知る権利を保障するという使命を背景として一定の保護が与えられることがあったとしても、報道機関独自に国民に優越した権利が与えられるものではない。

佐藤論文にあるように、最高裁判所も既に「知る権利」は認知している権利である。

(1) 「悪徳の栄え」事件(最高裁昭和四四・一〇・一五判決、刑集二三・一〇・一二三九)において、色川判事は反対意見で「表現の自由は他者への伝達を前提とするのであって、読み、聴きそして見る自由を抜きにした表現の自由は無意味となる。情報及び思想を求め、これを入手する自由は、出版、頒布等の自由と表裏一体、相互補完の関係にあると考えなければならない。」と述べている。

(2) 博多駅テレビフィルム提出命令事件(最高裁四四・一一・二六決定、刑集二三・一一・一四九〇)では、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を想定した憲法二一条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような情報機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない。」とし、報道機関の報道及び取材の自由は、国民の「知る権利」を前提とし、それに奉仕するものとして、これを国民にとっての価値からみることによって、憲法二一条による自由にまで高めたものである。

(3) 外務省秘密漏洩事件(最高裁昭和五三・五・三一決定、刑集三二・三・四五七)では、「報道の自由は、いわゆる国民の知る権利に奉仕するものであるから、……表現の自由のうちでも特に重要なものであり、また、このような報道が正しい内容を持つためには、報道のための取材の自由もまた、憲法二一条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない。」としている。

なお、この事件は、取材の自由の限界が争点となっているが、その関係で国家公務員法一〇〇条一項の「職員は職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。」に言う「秘密」に関連して、第一審の東京地裁昭和四九年一月三一日(刑裁月報六・一・三七)は、国民の「知る権利」について、国家公務員法が一条一項の目的条項の中で「職員がその職務の遂行に当たり、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導されるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障すること」と定められていることから、次のように論及している。

「わが国のような民主主義国家においては、公務は、原則として国民による不断の監視と公共的討論の場での批判又は支持とを受けつつ行われるのが建前である。従って、一定の事項が漏示されるならば公務の民主的且つ能率的運営が国民に保障され得なくなる危険性がある場合とは、当該事項がおよそ公共的討論や国民的監視になじまない場合(例えば、プライバシーに関する事項)、当該事項が公開されると行政の目的が喪失してしまうに至る場合(例えば、逮捕状の発付又は競争入札価格)、又は、公共的討論や国民的監視によるコントロールは事後的に(又は結果に対する批判として)行う機会を残しつつ公務遂行中にはその能率的・効果的な遂行を一時優先させる必要のある場合(例えば、行政内部での自由な発言を保障するための非公開委員会など。外交交渉中に行われる会談の具体的内容がこれに該当するか否かは後述する。)その他右に準ずる場合に限られなければならない」。

(4) 税関検査に関する事件(最高裁昭和五九年一二月一二日、民集三八・一二・一三〇八)は、「表現の自由の保障は、他面において、これを受ける者の側の、知る自由の保障をも伴うものと解すべきである」と判示している。

(5) 北方ジャーナル事件(最高裁昭和六一年六月一一日、民集三八・一二・一三〇八)は、その多数意見が「主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともにこれらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意見をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としているのであるから、表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない。」と述べているが、大橋進判事は補足意見で「真実を公表し、自己の意見を表明して世論形成に参加する自由が保障されていることは、自由な討論を通じて形成された世論に基づいて政治が行われる民主主義社会にとって欠くことのできない基盤である。憲法二一条一項の規定には、このような表現行為による世論形成への参加の自由を保障する権能があるのであり、この機能がみたされるためには、公共の利害に関する事項については表現行為をする側において知らせたい事実、表明したい意見を公表する自由が保障されているとともに、表現行為を受け取る側において知りたい情報に自由に接することのできる機会が保障されていなければならない。」と述べ、谷口正孝判事は、やはり補足意見で「憲法二一条は、公的問題に関する討論や意見決定に必要・有益な情報の自由な流通、すなわち公権力による干渉を受けない意思の発表と情報授受の自由を保障している。そして、この自由の保障は、多数意見に示すとおり活力ある民主政治の営為にとって必須の要素となるものであるから、憲法の定めた他の一般的諸権利の保護に対し、憲法上「優越的保障」を主張しうべき法益であるといわなければならない」と述べている。

(6) 法廷傍聴人のメモ制限事件(最高裁平成元年三月八日、民集四三・二・八九)は、「憲法二一条一項の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成、発展させ、社会生活の中にこれを反映させていく上において欠くことのできないものであり、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも必要であって、このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである」と判示している。

2 国民主権(憲法前文)、参政権(憲法一五条)、住民自治の原理(憲法九二条)を根拠とする権利

「知る権利」は、根源的には民主主義の根本原理に根差すものである。国民が主権者として政治や行政に参加するためには、公的機関が保有する情報を知る権利が保障されなければならないことは自明の理である。すなわち、憲法前文は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と宣言し、国民主権及び参政権の基本原理を明らかにし、そして憲法一五条一項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」として、参政権を具体化している。

これについては、前述の佐藤功教授が「政府に対する『知る権利』の主張は、国民主権・民主主義の原理からも当然に理由づけられる」(前掲書二二八頁)とし、伊藤正巳教授は「憲法」三〇九頁において「国民が政府の有する情報を知り、自己の意見の形成や国政の監視に役立てるべきことは、民主性の原理、国民主権の原理から当然求められることである。その意味で、知る権利は、最も重要な基本的権利としての性格をもつといえる。」と述べているところである。また、本件第一審判決においても、「憲法二一条の規定は、表現の自由を保障している。そうして、各人が自由にさまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものとするためにも必要であって、このような情報等に接し、これを摂取する自由(いわゆる知る権利ないし情報アクセス権)は右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として導かれ得るし(最判平成元年三月八日民集四三巻二号八九頁、昭和五八年六月二二日民集三七巻五号七九三頁参照)、国政、政府などが真に国民(住民)の信託によるもので、その権威が国民(住民)に由来しその権力が国民(住民)の代表により行使され、その福利は国民(住民)がこれを享受するという民主主義が行われるためには国民(住民)は政府、自治体の活動を詳しく知らねばならない。秘密ほど民主主義を撲滅するものはない。自治、即ち国事、地方自治体への市民の最大限の参加は、情報を与えられた公衆においてのみ意味をもつのである。したがって、立憲民主主義体制の下では、知る権利ないし情報アクセス権は、単に情報収集活動が公権力によって妨げられないことを意味するのみでなく、国民又は住民の誰もが行政機関等の情報を必要とするときに自由に入手することができる権利、即ち、情報の開示を請求し得るという情報公開請求権を法令等により保証すると共に、行政機関等に開示義務を課する情報公開条例を要求するものである」として、知る権利の憲法上の論拠の一つとしている。

この理論については、国政は間接民主制であるから、国民が直接情報公開を請求する主体にはなり得ないという議論がある。しかし、本件のような地方公共団体の場合には、右のような反論は成立しない。

すなわち、地方自治については、直接民主主義を含んだ原理が採用されているからである。

憲法九二条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」とし、この「地方自治の本旨」のなかに「住民自治の原理」が含まれると解するのが定説である。住民自治とは、住民の意志が自治体行政になるべく直接に反映されるようにすることであり、これを受けて地方自治法は、住民監査請求(二四二条)、住民訴訟(二四二条の二)、罷免、条例制定などの直接請求権(七四条以下)など、直接民主主義の原理を含む規定を整備している。また、憲法九三条二項では、首長公選制など住民自治の原理に基づいた制度を定めている。そして、これらの住民による直接参政権が有効に生かされる前提として、地方公共団体の有する情報を住民が十分に知り得ることが必要である。

「知る権利」の保障は憲法の保障する住民自治の原理からも導き出されるのである。

3 個人の尊厳、幸福追求権(憲法一三条)、生存権(憲法二五条)を根拠とする権利

人間が、自己をとりまくあらゆる事象を認識し、他者との間でコミュニケーションを確立することは、人間としての自己の確立と安穏な生活を維持する上での不可欠な条件である。

すなわち、「知る権利」は個人の尊厳にかかわる権利であり、また、人間としての幸福追求の権利に含まれる。

さらに、高度に産業化された現代社会では、住民は公害、欠陥商品、災害など常に生命、身体、健康の安全を脅かされており、また、プライバシー侵害など生活破壊、人格侵害などの危険にもさらされている。そのために住民は、その生活にかかわる環境、福祉、教育、消費者保護などの生活関係行政などの情報を得ることが、人間らしい生活の保障を求めるためには、必要不可欠である。すなわち、このような情報を求める権利自体が、憲法二五条の生存権に含まれていると解釈することによって、同条の生存権を実効あらしめることとなる。

第二 法令違反について

一 原判決が、本件文書は同条例五条六号前段該当文書であると認定したのは、京都府情報公開条例(昭和六三年京都府条例第一七号、以下本条例という)の解釈を誤っている。

二 本条例制定の経緯

1 府は、昭和六一年八月、「京都府の情報公開に関する諸課題について、広く意見を交換し、開かれた府政をより一層推進するための情報公開制度の望ましい在り方について提言を得るため」、学識経験者二五名から成る京都府情報公開懇談会を設置した。この懇談会は、「①情報公開制度の基本的な在り方に関すること、②情報公開制度に係る主要課題に関すること、③その他情報公開の制度化に関することについて協議検討」し、七回の小委員会、四回の全体会議、一回の公聴会を経て、昭和六二年六月「京都府における情報公開制度の在り方についての提言」をまとめた。

2 右提言における情報公開制度に関する基本的な考え方は次のようなものである。

(1) 先ず、情報公開制度の目的について、同提言は、「情報公開制度は、府民の『知る権利』を具体化するものであることを基本において、府民の府政に対する理解と信頼を深め、府政のより公正な運営の確保と府民参加による開かれた府政の一層の推進を図るとともに、府民の福祉の向上に寄与することを目的とすべきである。」としている。これは、同提言内に書かれているところを引用すれば、次のような理解に立つものである。

第一に、今日の行政は、住民福祉の向上を目的として、住民生活全般にわたって広範囲に各種の行政活動を行っている結果として、膨大な情報を収集し、保管しているが情報化社会が急速に進展する中で、情報の持つ価値が益々大きなものになっている現代社会の状況にかんがみれば、府の保有する情報を、府民の多様なニーズに応じて必要かつ十分に公開し、いつでも、どこでも、誰でも府の情報を入手できるシステムを確立することが強く要請されていること。

第二に、府の保有する情報を広く公開していく情報公開制度の主要な目的として、この制度が国民主権の基本原理に立ち返って、府民の参政権を実質的に保障するものであり、このことにより、府民の府政に対する理解と信頼を深め、府政のより公正な運営を保障し、地方自治の本旨に即した府民参加による開かれた府政の一層の実現を図るものであることには、異論のないところであること。

第三に、また、情報公開制度は、そうした参政権的側面のみならず、府が保有している府民の生活、健康等にかかわる様々な情報を公開することによって、豊かな地域社会の形成、府民の生活、府民の福祉の向上にも寄与するものであること。

第四に、いわゆる「知る権利」は、不確定で多義的な概念でありさまざまな文脈で語られるが、情報公開制度は、少なくとも憲法上の基本理念、抽象的な権利としての「知る権利」を実定法上の具体的な権利とするためのものであり、府民の立場に立ってこの趣旨を最大限にいかす方向で制度化することが重要であること。

すなわち、「提言」は、「知る権利」について、明確に憲法上の権利であることを認知しているのである。

(2) このような理念、理解に立ったうえ、「提言」は、情報公開制度の制度化の基本原則について、「情報公開の制度化に当たっては、制度の目的、理念を実現するために、①府が保有する情報は公開を原則とし、非公開とする情報は必要最小限度とする。②個人のプライバシーについては、最大限保護する。③情報公開制度の実行性を担保するため、迅速、公正な救済制度を確立する。④公文書公開制度を中心に、情報提供機能の充実等を含めた総合的な情報公開制度の整備を図る」ことを、基本原則とすべきであると提言した。

右の基本原則のうち、①については、「提言」の中で、「情報公開制度は『知る権利』の具体化であるから、公開が原則であり、例外的に非公開とする情報は、合理的理由のある必要最小限度のものとし、非公開とする情報の範囲は可能な限り、限定かつ明確に定めるようにすべきである。」と説明されている。

(3) したがって、非公開情報は、「(府民の知る権利を具体化するものであるという)情報公開制度の趣旨を踏まえ、例外的に非公開とせざるを得ない情報の範囲は必要最小限度にとどめるとともに、細かく類型化して、可能な限り限定的かつ明確に定めるべきである。」とし、そうであれば、「非公開とせざるを得ない情報であっても、一定の期間の経過により、非公開とする理由が消滅したときはその時点で公開対象とすべきである」し、「部分的に非公開とせざるを得ない情報が含まれている場合には、実務的に可能な範囲で当該部分のみ分離し、その他の部分は公開すべきである。」と提言している。

また、「府の内部または府と国等との間における調査研究、検討、審議、協議、企画、調整等に関する情報であって、公開することにより、当該又は同種の調査研究、検討、審議、協議、企画、調整等を、公正かつ適切に行うことに著しい支障が生じるおそれのあるもの」は非公開とせざるを得ないけれども、一方、「府民参加による開かれた府政をより一層推進するためには、こうした意思形成過程に係る情報を府民にできるかぎり公開し、府民意思の行政への反映を図ることが望ましい。したがって、公開・非公開の判断に当たっては情報公開制度の趣旨が損なわれないように、原則公開の精神に立って、慎重に行う必要がある。」と提言している。

3 右の経緯を経て、昭和六三年四月一日、京都府情報公開条例が(昭和六三年条例第一七号)が制定公布された。

本条例は、前述した提言を受け、府民の「知る権利」を具体化するために制定されたものである。

つまり、本条例は、その前文で、

「府が保有する情報の公開は、府民の府政への信頼に基づくより積極的な府政への参加を促し、豊かな地域社会の形成を図る上で、基礎的な条件である。

また、府が保有する情報は、府民によって広くかつ適正に活用され、府民生活の向上に役立てられるべきものである。

このような精神の下に、個人のプライバシーの保護に最大限の配慮をしつつ、府民の公文書の公開を請求する権利を明らかにすることによって『知る権利』の具体化を図るとともに府民が必要とする情報を多様な形態によって積極的に提供し、もって府民の府政に対する理解と信頼を深め、府政のより公正な運営を確保し、府民参加の開かれた府政の一層の推進を図り、併せて府民福祉の向上に寄与するため、この条例を制定する。」

と規定し、条例が府民の「知る権利」をはかるとともに具体化したものであることを明言しているのである。

三 本条例五条六号の違憲性

1 はじめに

被上告人は、本件非公開処分の根拠として京都府情報公開条例第五条第六号をあげる。ところで、被上告人が根拠とするのは、「意思形成の過程における情報であって、公開することにより、当該若しくは同種の意思形成を公正かつ適性に行うことに著しい支障が生じるおそれのあるもの」という部分である。

右条項は、本条例において原則として認められた情報公開請求権(これは憲法により保障された知る権利が具体的な請求権となったと見るべきことは前述した)の除外規定としての意味をもつものであり、知る権利を制限する条項である。

それ故、まず、同条項が知る権利を保障する憲法に適合しているのかが問題となる。

2 情報公開請求権を制限すべき根拠の欠如

右条項は、「意思形成過程の情報」(第一要件)という要件と「当該若しくは同種の意思形成を公正かつ適性に行うことに著しい支障が生じるおそれ」(第二要件)という二つの要件を設定している。

(1) 第一要件の違憲性

まず、第一要件の「意思形成過程の情報」という要件であるが、これは情報公開請求権のうち、特に、意思形成過程の情報を特別に規制しようとするものである。京都府情報公開条例は、本条項の他にも第五条の各号において情報公開の除外規定を設けている。そして、本条項は、それ以外の条項とは別に意思形成過程の情報だけについて特別に公開を制限しようとするものであり、このような意思形成過程の情報だけを特別に規制することを正当化する合理的根拠が問題とされなければならない。

ところで、本来、情報公開請求権が憲法上重要な位置を占める理由は、それが民主主義制度の基礎を為す権利であるからである。民主主義の要請は、行政の意思形成に民意を反映させることが中核的意義であり、民意の反映方法も、単に投票権の行使の場合だけに限極されるのではなく、さまざまな機会における行政に対する要請行動などあらゆる局面における民意の表明を含むものである。

そして、行政における意思形成において民意を反映させるためには、意思形成がなされてしまってからではなく、その過程において民意を反映させることこそが必要となる。それ故、このような民意の反映の不可欠の前提たる情報公開の必要性はまさに意思形成の過程にこそ認められるというべきである。

このような観点からすると、本条項が特別に意思形成過程における情報の公開を制限しようとすることは本来の民主主義の理念に反し、憲法に保障された知る権利を不当に侵害するだけで、何ら合理的な根拠を有しない。

よって、第一要件の存在により、直ちに本条項全体が違憲無効であるというべきである。

(2) 第二要件の違憲性

仮に、第一の存在だけで直ちに本条項が違憲無効とはいえないとしても、第一要件の存在は、第二要件の解釈において重要な意味を持つ。

それは、本条項の第一要件により、本来、情報公開が必要とされるべき意思形成過程における情報について特別に公開を制限する以上、第二要件においては、情報を制限すべき「明確(明白)」で「具体的」な必要が認められなければならないことを意味することになるということである。

そこで、このような観点にたって第二要件の正当性を検討する。

第二要件は、「公開することにより、当該若しくは同種の意思形成を公正かつ適正に行うことに著しい支障が生じるおそれ」である。

この第二要件について、何らかの「明確」かつ「具体的」な理由というものが考えられるであろうか。

一般的に予想されることは、意思形成過程の情報であるだけに、未確定な情報であり、これを公開することにより、あたかも確定したかのような誤解を与えるという場合である。しかし、この誤解は未確定情報であることを明記する等公開の仕方の工夫で容易に回避できることである。

また、仮に、市民の反対運動などを危惧し、これを防止しようとすることを目的とするのであれば、それは民主主義そのものを否定することであり、到底正当な理由とはならないというべきである。

実際、第二要件のいう「公開により意思形成を公正かつ適正におこなうことに著しい支障が生じるおそれがある場合」などは、そもそも想定することは不可能である。すなわち、第二要件自体が規定として合理性をまったく持つものではなく、このような要件を備えた本条項全体が違憲無効とならざるを得ない。

3 「過度に広汎な規制」あるいは「不明確な規制」

表現の自由の規制については、その規制が過度に広汎である場合、あるいは規制対象の範囲が不明確な場合には、そのことの故をもって当該法令が違憲無効であるといわれている。

本件で問題となっている「知る権利」は、表現の自由と密接に関連する権利であり、ともに民主主義制度の根幹をなす権利であり、その制約は可能なかぎり避けられなければならない。

ところで、表現の自由を制約する法令が「過度に広汎である場合」または「規制対象の範囲が不明確である場合」にはそのことにより法令が無効になると考えられている根拠としては、畏縮効果(chilling effect)の早期除去および裁判以外の是正手続きの困難性が指摘されている。

つまり、表現の自由を制約する法令が「過度に広汎」であったり、「規制対象の範囲が不明確」であると、ある意思を表現しようとする者からすると、その行為が許されるのか否かが不明なため、本来許されるべき表現行為を自ら回避してしまう(畏縮)という事態を避けようということにある。

また、表現の自由が不当に侵害された場合、これを立法手続きにより是正しようとしても、表現の自由が侵害されたままだと、参政権の行使が適正になされず立法手続きによる是正が困難となるということを意味している。

そして、このような表現の自由の制約についての理論は、「知る権利」の場合にも妥当する。「知る権利」を行使する者についても畏縮効果は認められるし、「知る権利」が、いったん制約された場合には、国民の意思形成が適正になされずに立法手続き等により、これを回復することが困難となるということも同様である。本来、ある情報を国民に知らせることが有害か否かの判断は、本来は国民がなすべきであり、出来る限り「知る権利」を保障することが必要と考えられる。

よって、「過度に広汎な規制」あるいは「不明確な規制」を理由とする違憲無効の理論は、本来の知る権利の制約についても妥当するべきというべきである。このような観点から、前記条項の第二要件を見た場合は、この要件によりどのような場合が情報公開請求が否定されるのか、その意味するところが文面上全く判らず、まさに規制対象が不明確であるといわなければならない。

「当該若しくは同種の意思形成を公正かつ適正に行うことに著しい支障が生じるおそれ」という文言では、どのような場合に規制されるのかが全く不明である。知る権利の制約である以上、規定の文面上、その範囲が明確とされなければならない。右条項は規制の対象を特定しておらず、つまるところ、都合の悪いときには公開しないと言っているに過ぎない。

また、このような不明確な規制は、その不明確さゆえに規制対象が本来規制されるべき対象を越えて広がるおそれがあり、過度に広範な規制にも該当する。

本来、合憲的限定解釈が可能な場合には、できるだけそのような解釈をなし、いたずらに法令自体の違憲判断することを回避すべきであるとの見解に立ち、合憲的限定解釈が可能か否かを検討したとしても、前記文言では、どのような場合に規制が限定されるのか判断することができず、限定的合憲解釈が不可能であるといわなければならない。

以上の理由により、本条例五条六号の条項は、条項自体が違憲であり、無効といわなければならない。

四 本条例五条六号の適用の違憲性及び違法性について

原判決は、本条例五条六号の適用について、「以上の事実によれば、本件文書は、『ダムサイト候補地選定位置図』と称するものの、ダムサイト候補地選定の重要な要素となる地質・環境等の自然条件や用地確保の可能性等の社会的条件について検討を経ない段階で、協議会のダム構想検討の資料とするため、京都府土木建築部河川課が鴨川流域において貯水が可能な地形を二万五〇〇〇分の一の地形図から読み取り、それを流域図に示したものにすぎず、いわば協議会の意思形成過程における未成熟な情報であり、公開することにより、府民に無用の誤解や混乱を招き、協議会の意思形成を公正かつ適切に行うことに著しい支障が生じるおそれのあるものといえる。」と言うだけで、どういう著しい支障が生じるというのか、何ら説明していない。

原判決の認定した事実から推測しても、右著しい支障とは、「協議会役員に対し、ダム建設について、交渉を申し入れる団体や面談を強要する者があり、また、協議会委員宅に無言電話があり、また、電話で種々強い調子で申し入れをする者が現れ、委員の中には、その職を辞任したい意向を示す者がいた。河川課に対しても、ダム建設について交渉を申し入れる者がいた。」という認定から出てきたものと思われるが、右事実は、被上告人側証人の伝聞証言によるものであり、また、仮に右事実があったとしても、右事実は新聞報道によってダム建設が決定されたかのような不正確な情報が伝えられ、被上告人が何らこれを訂正しなかったことに起因しているものである。重大な問題ほど市民の間で賛否の意見が先鋭化するのはある意味で当然のことである。そのような時ほど、情報を市民に公開してその意見を採り入れることに意味がある。本来鴨川改修協議会設置の趣旨は、府民の意見を採り入れようとしたことにあったはずである。被上告人の発想は、市民に対する不信感を前提とする意見であり、民主主義の前提に背を向けるもので、到底承認することはできない。

かえって、右事実は、情報公開制度により府民に正確な情報を与えることの必要性を証する事実であって、原判決が、これをもって、「著しい支障」と認定したことは、経験法則に反するものであり、また右適用自体違憲であると言わざるを得ない。

なお、原判決は、本件文書が「未成熟な情報」であることを強調するが、貯水可能な地形を二万五〇〇〇分の一の地形図から読み取ったものとしては成熟した情報である。

五 違法性の基準時の解釈について

原判決は、本件非公開処分決定の違法性の基準を処分決定時であると解釈し、本件処分以降の事情の変更を一切考慮しなかった。

本件のような情報公開の事例においては、処分時以降に事情が変更し、非公開とすべき理由がなくなることは通常想定されることであり、違法性の基準時は事実審の終結時と解釈すべきである。

原判決はこの点について行政訴訟法の解釈の誤りがある。

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